武田鉄矢が今だからこそ明かす。高倉健と『幸福の黄色いハンカチ』をめぐる意外なエピソード 83年の生涯を閉じた名優・高倉健。映画界の巨星の突然の訃報に、芸能界を始めとした各界から哀悼の意が捧げられている。 去る11月18日——。1977年公開の「幸福の黄色いハンカチ」で高倉と共演した俳優で歌手の武田鉄矢は都内で記者会見を開き、涙ながらに撮影秘話を語った。武田にとって「幸福の~」は映画デビュー作のため、右も左も分からない状況。そこで、同作の撮影は順撮り(台本の流れ通りに撮影)で行われた。 撮影開始から1カ月後、ようやくラストシーンを残すのみとなったが、山田洋次監督は晴天での撮影にこだわったという。しかし、しばらくの間、曇天が続き、青空待ちの状況の中、撮影できるか、できないかという微妙な日には、ラストシーンに出演する高倉や武田らの出演者と撮影スタッフは、現場に待機し近くの控え室で暖を取っていたが、高倉だけはずっと外で待ち続けたと言うのだ。同作のラストシーンについて武田は感慨深げに語った。 「僕が『寒いからストーブで温まりましょう』と声を掛けても、健さんは『気持ちが切れるから』と。そして、1週間後ようやく晴天になり、撮影という運びになったのですが、僕はすっかり緊張の糸が切れてしまって、黄色いハンカチが安全第一の旗にしか見えない……。すると、健さんが僕のところに近づいてきて、『撮影はつらかったか?』と。僕が『はい』と答えると、『長い間、世話になったな。東京に帰っても元気で暮らすんだぞ』と握手を求めてきたんです。その健さんの対応に、演技ではなく純粋な涙が流れてきた。それを見た山田監督は『よーい』の掛け声をかけて、ラストシーンの撮影がスタートしたのです」 寡黙なイメージが強い高倉だが、武田は意外な一面も明かしてくれた。ロケ中に高倉は武田と桃井かおりを誘い、3人でレストランで食事をしたという。 「おもむろに健さんは『お前らはいいよな。オレはジジイだから、もう誰も相手をしてくれない』とジョークを飛ばしてきたんです。すると、店主がそれを真に受けて、近所のキャバレーに連絡して、チャイナドレスや着物、スパンコールドレスなどを身にまとった女性を手配して、彼女たちに料理を運ばせたんです。店主が『田舎の女はダメですか?』とたずねると、健さんは『まいったなー』とバツの悪そうな顔をしていましたね」 高倉は、若手の役者や裏方に対しても分け隔てなく接する一方で、仲間を裏切ったり、権力や肩書きを誇示して威張り散らすタイプを嫌ったと言う。その真っ直ぐで真摯な生き様は、スクリーンにも投影され、日本人のみならず世界中の人々を魅了したのだろう。205本の作品に出演するなど、まさに映画に捧げた高倉の生き様は、今後も語り継がれていくだろう。合掌。
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